ABOUT日東社について

火を灯し、未来へ

暗がりのなかに、小さな炎がポッと広がる。
その一筋の光のように、私たちは長きにわたり、人と人、地域と社会を照らしてきました。

日東社の原点は「火を興す」こと。仲間と手を取り合い、思いやりを重ね、つながりのなかで新しい火を生み出す。それは信頼や安心を形にし、暮らしにぬくもりを添える営みです。

創業以来、私たちは「変わらないもの」と「変えていくもの」を見極めながら歩んできました。時代の荒波に直面するたびに立ち止まり、知恵と技術を練り直しながら、火を灯すという営みを未来へつなげています。

兵庫・播磨の地に根を下ろして百年余り。その道のりで培った技術と心を、私たちは「ブルーラベル」に託しました。藍と白のコントラストは、日本の記憶を映す色。軸木にまで染み込んだ深い青は、未来につながる現代のクラシックマッチです。

日々を見守るものづくりを、これからも。
私たちは暮らしを照らす小さな灯りを灯し続けます。

HISTORY

百年の炎が語り継ぐもの

日東社の歩みは、明治の終わりにマッチの製造を志し、マッチ箱をつくるところからスタートしました。1900年、創業者・大西廣松が姫路で小さな工場を興し、1923年には「日東社燐寸製造所」を設立。自らのマッチ工場を持つという夢を実現させます。戦争や震災といった数々の苦難を経ても、その情熱の炎が消えることはありませんでした。

二代目・大西貞三は、マッチに新たな価値を見いだします。企業や店舗の宣伝用として配られる「広告マッチ」。小さな箱に刷られたとりどりのデザインは、多くの人の手に渡り、暮らしに彩りを添えました。やがて広告マッチは日東社の柱へと成長していきました。

昭和に入り、マッチ箱の素材を経木から紙へと大きく転換することを決断。従来は手作業中心だった箱づくりを機械化することに成功し、量産化と近代化を進めました。さらにライターや紙おしぼり、ポケットティッシュと販促用品に事業を広げ、マッチの枠を超えて時代のニーズに応え続けてきました。

戦中・戦後の資材不足、激化する競争、暮らしの変化――それでも「みなさまに満足していただける製品を」という信念を胸に、技術とアイデアで乗り越えてきました。そして近年では、同業者の事業や意匠を受け継ぎ、日本で数少ないマッチの一貫製造メーカーとして、業界を支える存在となっています。

FUTURE

マッチから広がる、これからの暮らし

百年を超える歳月のなかで、火を日常的に見る機会は減り、マッチはかつてのような必需品ではなくなりました。

一方で、気候変動によって自然災害が増えるいま、火を使いこなす大切さがあらためて問われる時代になっています。何よりも、揺らめく炎がもたらす安らぎはいまの時代にこそ必要とされている、と私たちは信じています。

受け継いだ炎を、これからの暮らしにどう生かしていくのか。その問いに応えるために、私たちは新たなマッチのかたちを探り続けています。

そのひとつが、伝統の意匠をいまに受け継ぐ「ブルーラベル」。
藍と白のコントラストに百年の記憶を映し出し、原点となったマッチを現代の暮らしにふさわしい姿へとよみがえらせました。

日々の暮らしに彩りを添える道具として、あるいは贈りものやノベルティとして。
歴史のなかで培ってきた技と知恵を生かし、デザインや用途の枠を超えたマッチの可能性を広げています。

マッチのある暮らしを、現代にふたたび。
一本のマッチがひらく、新しい景色をこれからも見つめていきます。